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京都地方裁判所 昭和45年(ワ)931号 判決 1973年5月31日

原告(反訴被告) 野村信一

みぎ訴訟代理人弁護士 和田榮重

みぎ訴訟復代理人弁護士 山本毅

被告(反訴原告) 斉藤晃繁

みぎ訴訟代理人弁護士 山崎小平

みぎ訴訟復代理人弁護士 葛城健二

岸本昌己

主文

原告(反訴被告)の本訴請求を棄却する。

原告(反訴被告)は被告(反訴原告)に対し、金三一四万円とこれに対する昭和四五年七月四日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

被告(反訴原告)のその余の反訴請求を棄却する。

訴訟費用中本訴について生じた分は原告(反訴被告)の、反訴について生じた分は四分し、その三を原告(反訴被告)の、その一を被告(反訴原告)の各負担とする。

この判決は、被告(反訴原告)の勝訴部分に限り仮に執行することができ、原告(反訴被告)は金二〇〇万円の担保を供して仮執行を免れることができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

(本訴について)

一、原告(反訴被告・以下原告と略称)

原告は被告(反訴原告・以下被告と略称)に対し金四〇八万〇、八二七円の債務を負担していないことを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

二、被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

(反訴について)

一、被告

原告は被告に対し金四〇八万〇、八二七円とこれに対する昭和四五年七月四日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決と仮執行宣言。

二、原告

被告の請求を棄却する。

第二、当事者の事実上の主張

(当事者間に争いのない事実)

被告(当時五七歳)は、昭和四四年一月一七日午後八時すぎごろ、北海道クボタ研修旅行団の一員として原告の経営する日昇別荘に投宿した。

被告は、同日午後一〇時三〇分ごろ、日昇別荘の南亭二階桔梗の間(六畳、三畳)に、訴外水本盛夫、同松久弥一郎と就寝した。

原告の被用者で桔梗の間の係女中訴外沢井栄子は、同室のガスストーブの栓を閉めず、閉栓を被告らにまかせた。

被告らが就寝中ガスストーブのガス管と元栓とが外れ、ガスがもれ、被告らは、一酸化炭素中毒に罹患したが、原告は、それを、翌一八日午前七時三〇分ごろ発見し、ただちに医師高島雅行に応急手当をさせ、京都第二赤十字病院救急分院に入院させた。

水本盛夫、松久弥一郎は、軽症のため、同月二〇日同分院を退院したが、被告は、同月一九日意識が回復し、同月二九日同分院を退院して同年二月五日帰郷した。

(争点)

一、原告

(一) 原告は、本件事故の少し前にガスストーブのガス管を新品に取りかえ、元栓に十分はめ込んで度々点検していたし、沢井栄子は、被告らに対し就寝の際ガスストーブを消して寝るよう注意した。

従って、原告又はその被用者には、ガスストーブの設置や保存上の注意義務に欠けるところはなかった。

(二) 仮に原告に不法行為上の責任があるとしても、被告が帰郷する際、被告の一酸化炭素中毒は完治した。従って、被告に後遺症のある筈はない。

(三) 仮にそうでないとしても、被告には、次の過失があったから過失相殺の主張をする。

被告と松久弥一郎は、ガスストーブの元栓から僅か一五センチメートルはなれたゴム管上に、相当重量のある鞄をそれぞれ一個あて置いた。このように鞄を置いたため、ガス管が外れたものと考えられる。

(四) そこで、原告は、本訴で、本件事故による損害賠償債務として被告が主張する金四〇八万〇、八二七円の債務のないことの確認を求め、反訴請求の棄却を求める。

二、被告

(一) 旅館経営者である原告には、宿泊中の客の身体、生命、財産に対する危害を未然に防止すべき注意義務がある。客室のガスストーブのガス管が就寝中に外れるということは、とりもなおさず、原告がこの義務を尽さなかったことになる。

原告は、沢井栄子が注意したと主張しているが、そのようなことはなかった。

(二) 被告は、帰郷後である昭和四四年二月一〇日から同年四月七日まで旭川厚生病院に入院し、退院後町立下川病院に通院したもので、被告が帰郷するときには完治していなかった。

(三) 被告らが鞄をガス管の上に置いたことは否認する。

(四) 被告は、原告又はその被用者の不法行為によって、次の損害を被ったから、民法七〇九条、七一五条にもとづき賠償を請求する。従って、原告の本訴請求は棄却を免れない。

(1) 休業損害 金六〇万一、六四七円

被告は農業を営むもので、妻と二人で水田二町五反、畑二町五反を耕作し、養鶏もしていた。

被告の年収は別紙収支計算表のとおり金八五万九、四九六円であるが、被告の寄与率を七割とみたとき、被告の収入は、金六〇万一、六四七円になる。

ところで、被告は、昭和四四年一年間は全く働くことができなかった。

(2) 後遺症にもとづく逸失利益 金一九七万九、一八〇円

被告には、一酸化炭素中毒による後遺症として、視力障害、精神神経症状、言語障害があり、労災補償等級表の七級に相当する。

601,647円×0.56(労働能力喪失率)×5.8743(就労可能年数8.2年のホフマン係数)=1,979,180円

(3) 慰藉料 金一五〇万円

本件の諸般の事情を勘案し、被告の精神的苦痛に対する慰藉料は、金一五〇万円が相当である。

(4) 被告の損害は、以上の合計金四〇八万〇、八二七円になるから、被告は原告に対し、同額とこれに対する本件不法行為の日以後である昭和四五年七月四日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを反訴で求める。

第三、証拠関係≪省略≫

理由

一、本件事故発生の経緯

(一)  事実摘示に記載した当事者間に争いのない事実や、≪証拠省略≫を総合すると次のことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫

(1)  原告の経営する旅館日昇別荘の南亭二階桔梗の間の模様は別紙図面のとおりである。

原告は、昭和四三年秋ごろ、二階桔梗の間とその階下白藤の間を残し、他の客室のガス元栓を、自動安全装置のある元栓に取りかえた。

自動安全装置とは、ガス管が元栓から外れたとき、自動的にスチールの玉によってガスの噴出するのを止める装置である。

原告が、みぎ二室の取りかえ工事をしなかったのは、この二室が元土蔵であったので、工事費がかさむためであった。しかし、本件事故後取りかえの工事をした。

(2)  ガスストーブのガス管は、同年一二月中に新品と取りかえられた。しかし、原告は、元栓とガス管との継目にとめ金をしなかった。

このガスストーブは、本件事故のとき、自動点火のための電池がなく、マッチで点火する有様であった。

(3)  被告(五七歳)は、クボタ研修旅行団に加わって、京都、大阪、九州に団体旅行に行く途中、昭和四四年一月一七日午後八時すぎ日昇別荘に着いた。一行は一六八名である。

(4)  日昇別荘の女中訴外久保喜代と訴外沢井栄子とは、本件事故の日、桔梗の間ほか三室の係女中として、一五名の客の世話をすることになり、同日午後七時ごろ、桔梗の間のガスストーブにマッチで点火した。

(5)  被告は、日昇別荘に予定より遅れて到着し、桔梗の間に案内されたが、訴外水本盛夫(二六歳)、同松久弥一郎(七一歳)と同室することになった。

被告ら三名は、いずれも、北海道に居住しているため都市ガスを使用した経験がなく、松久弥一郎は、プロパンガスを使用したこともない。被告と水本盛夫とは、プロパンガスを使用した経験はあった。

このように、都市ガスについて不案内な被告らは、桔梗の間に入ると、所持してきた鞄を一個あて元栓の近くのガス管の上に並べて置いた。なお、ガス管は、色布で巻かれたもので、ゴム管がそのままむき出しになったものではない。

(6)  被告らは同間で食事をしたが、そのとき銚子三本を被告ら三名で注ぎ合って飲んだ。被告と松久弥一郎は、殆んど飲まず、水本盛夫がその大部分を飲んだ。

(7)  被告らの食事が終り、同日午後一一時ごろ、サービス係の訴外島田熊夫が布団を敷いた。そのとき、松久弥一郎は、ガスストーブを図面のところに移動させた。

被告と松久弥一郎は、相談のうえ、被告がガスストーブのスイッチを回してガスストーブを消し、布団の中に入った。しかし、元栓を閉栓することまで気がつかなかった。

水本盛夫は、鞄を枕許まで運び、そこで手紙を書き、一番遅く寝た。従って、鞄二個は、ガス管の上に置かれたままであった。

被告ら三名の就寝の位置は図面のとおりである。

被告ら三名は、就寝に際し、電灯を消そうとして探したが、スイッチの場所が判らず消灯することはできなかった。

桔梗の間の係女中が、被告らに対し、ガスストーブを消すとき、元栓を閉めるよう注意を促したことはなかったし、原告の方でガス管の総元栓を閉栓しなかった。

(8)  松久弥一郎が、翌日の午前二時ごろ、尿意を催して起きたとき、頭が痛くふらふらした。

(9)  被告ら三名は、翌日午前七時三〇分ごろ、ガスによる一酸化炭素中毒により寝床で意識を失なっている状態で発見されたが、そのとき、ガス管は元栓から外れてガスが噴出していた。

桔梗の間の係女中沢井栄子は、元栓を閉めようとしたが、固くて閉めることができず、応援にかけつけた久保喜代が閉栓した。

(二)  以上認定の事実からすると次のことが結論づけられる。

本件事故の原因は、被告らが就寝中にガス管が元栓から外れたことにあるが、このようにガス管が外れたのは、被告と松久弥一郎が元栓の近くのガス管の上に鞄を二個置いたため、その重さがかかったからである。

二、責任原因

原告は、旅館業日昇別荘を経営しているのであるから、客の生命、身体、財産の安全を確保するため、万全の措置を講じなければならない注意義務があることは勿論であり、とりわけ、客の中には、あらゆる階層、教養、職業の人があり、それも、老齢者から幼児までが投宿するのであるから、旅館経営者の事故防止義務は、より高度のものが要求されるわけである。

ところで、原告又はその被用者には、(一)桔梗の間の元栓を他の部屋と同様自動安全装置のある元栓に取りかえなかった点、(二)ガス管と元栓との継目をとめ金で完全にとめなかった点、(三)係女中がガスの元栓を閉栓するよう注意を促し、その確認を怠ったこと、(四)ガスの総元栓を閉めて夜中のガス事故の発生を防止しなかった点、(五)係女中又はサービス係は、被告らが無知のあまりガス管の上に鞄を置いているのを看過してしまい、この鞄を取りのぞくことをしなかった点について、落度があり、これが、原告又はその被用者の前記注意義務違反に該当し、非難を甘受しなければならない点である。

そうすると、原告は、民法七〇九条、七一五条によって、被告の本件事故による損害を賠償しなければならない。

三、被告の損害額

(一)  被告は、昭和四四年一月一八日午前七時三〇分ごろ、ガス中毒に罹患している状態で発見され、医師高島雅行の応急手当を受けた後、京都第二赤十字病院救急分院に入院し、同月一九日意識が回復し、同月二九日同分院を退院し、同年二月五日帰郷したことは、当事者間に争いがない。

(二)  みぎ争いのない事実や、≪証拠省略≫によると次のことが認められ、この認定の妨げになる証拠はない。

(1)  被告は、昭和四四年一月一八日から同月二九日まで京都第二赤十字病院に入院して一酸化炭素中毒の治療を受け、退院時には、言語障害、頭痛、ふらつきの症状があったが、症状は入院時より軽快した。しかし、脳波に異常波が認められた。

同病院の医師は、退院時、他の病院の医師に紹介状を書き、被告に対し、帰郷したとき、他の医師の治療を受けるようすすめた。

(2)  被告は帰郷後、同年二月一〇日から同年四月七日まで旭川厚生病院に入院して一酸化炭素中毒の治療を継続して受けた。このときの治療は、主として言語障害を治すため脳に代謝促進剤、賦活剤を与えるものであった。

(3)  被告は、同年四月一六日から同年一一月一三日までの間町立下川病院に通院して治療を受けたが、その実日数は三二日である。

(4)  被告は、同年一一月一三日ごろその症状が固定し、後遺症として、言語障害を中心とした精神神経の障害が認められ、この後遺症は、労災後遺症等級表の七級四号に該当する。

(三)  ≪証拠省略≫によると、被告は、昭和四四年中は農業ができなかったことが認められるから、被告の年収について判断する。

≪証拠省略≫によると、被告の昭和四三年度の農業の収獲による荒利益は、金一二四万五、二三六円であることが認められ、この認定に反する証拠はない。なお、別紙収支計算書中書証のない馬鈴薯と養鶏の収入は認められない。

しかし、その経費として約五〇パーセントを必要とすることが≪証拠省略≫によって認められる(≪証拠判断省略≫)から、被告の昭和四三年の年収は、金六〇万円である。

しかし、被告は、自分のこの収益に対する寄与率を七割とみているから、被告自身の年収は金四〇万円を下らない。

そこで、被告の昭和四四年の休業損害は金四〇万円である。

(四)  被告の逸失利益 金一五九万円(千円以下切捨)

400,000円×0.56(労働能力喪失率)×7.107(就労可能な8.2年のライプニッツ係数)=1,591,968円

(五)  慰藉料 金一五〇万円

本件に顕われた諸般の事情を斟酌し被告の本件事故による精神的苦痛に対する慰藉料は、金一五〇万円(後遺症のそれを含む)が相当である。

(六)  過失相殺

さきに認定したとおり、被告は、ガス管上に鞄を置いて就寝し、元栓も消さなかったもので、これが本件事故の原因の一つになったことは明らかである。

ところで、被告は、ガスストーブを取り扱った経験がないのであるから、より慎重に扱い、取扱いの判らない点は係女中に聞くなどして、自らも、事故の発生を防止するため慎重な態度に出ることが期待された。

しかし、原告は宿泊料を徴収して客を泊らせているのであるから、客の生命、身体に対する事故防止義務は、客のそれより重いことは当然である。

そうすると、被告のみぎの態度は、軽率のそしりを免れず、これは、被害者の過失として損害額算定の際斟酌すべく、その割合は、一〇パーセントと評価する。

そうすると、被告の損害は、金三一四万円になる。

(40万円+159万円+150万円)×0.9=314万円

四、むすび

原告は被告に対し、金三一四万円とこれに対する本件事故の日以後である昭和四五年七月四日から支払いずみまで年五分の割合による遅延損害金を支払わなければならない。

そうすると、被告の反訴請求は、この範囲で正当であるから認容し、これを超える部分および原告の本訴請求は失当であるから棄却し、民訴法八九条、九二条、一九六条に従い主文のとおり判決する。

(判事 古崎慶長)

<以下省略>

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